DVをした男性が語る1

アウェアは東京で、2007年から2010年まで毎年1回、合計で4回、加害男性たちが自分自身を語る公開講座を開催しました。講座名は「DVって何だろう? 僕たちは気づかずやっていた」でした。毎回100人ほどの参加者を前に、当時加害者プログラムに参加していた男性たちが、自分のしたDVと、アウェアで気づいたり学んだりしたことを話しました。帽子をかぶったりサングラスをかけたりして話した人もいますが、ほとんどが顔を出して話しました。そのうちのひとりの話を紹介します。名前は仮名です。

キムラさん

そもそも僕はDVという言葉さえ知りませんでした。あるとき妻が家を出て行ってはじめて自分がDVをしていると気づきました。彼女が家を出たのは1度や2度ではなかったのですが、はじめて「彼女は本気だ。彼女を失ってしまう」と思いました。彼女の本気が僕に気づかせてくれたのです。彼女が出て行ってからはじめて会えたとき、アウェアのチェックリストを渡されました。読むと自分の症状とまったく同じでした。僕がいつも当たり前のようにしてきたことは異常なことだったとはじめて気づいたのです。そのとき思い出しました。彼女は出て行く2、3年前から「首が痛い。このままではいっしょに暮らせなくなる」と言っていたのです。僕は「首が痛いなら病院へ行け。いっしょに暮らせないのは僕を愛していないからか?」などと言いました。彼女は「愛しているし、愛もいっぱいあげた」と言っていました。僕は愛しているのになぜいっしょに暮らせないのかと不思議で、彼女が浮気をしていると思い、携帯電話を壊したこともありました。このとき、彼女が僕に一生懸命訴えていたことにまったく気づきませんでした。

僕は妻に次のようなDV行動をしました。まず、なぐる、蹴る、たたきつける、物を投げるなどの身体的暴力があります。鼻を骨折させてしまったこともあります。精神的暴力は、例えば、家族の行動についての規則を自分が勝手に作ったことです。規則があるから自分の都合で怒ることができます。妻が何かできなかったときには彼女に怒ったり、自分の怒りがたまったときには、妻が過去に失敗したときの話をもち出して怒ったりいやみを言ったりするのです。失敗しない人はいないのに、「できなかった」、「家族で決めた規則を守れない」と言って怒りました。妻は何かあると子どもたちに「パパに聞いてみなくてはわからない」とか、「パパがいいと言ったらね」と言うようになり、1人1人の人格が尊重されない、意見を言うことができない、私だけ居心地のいい家庭がつくられていきました。

性的暴力もしました。彼女がいやがっているのにしつこく求め、断られると「僕を愛していないのか」、「愛していないのなら出て行け」、「外でして来るから金をよこせ」などと言いました。彼女がなぜ僕とセックスしたくないのか、本気で考えたことなどありませんでした。僕は妻の気持ちをまったく理解しようとせず、自分の気持ちだけをいつも押しつけていました。「僕がこんなに傷ついているのになんでわかってくれないんだ」、「おまえはそうやって俺を傷つける」と言っていました。

当時、僕とちがう彼女の意見や気持ちは僕への批判、反発にしか聞こえず、「なんて気の強い生意気で反抗的な女だ」と思っていました。彼女は普通に話や気持ちを僕に言いたかっただけなのですが、僕はいつも批判としか受け取らず怒っていました。怒ったときは、どなり、机を叩き、物を投げ、そのあと机をひっくり返しました。そこまですると「やりすぎた。ほんとうにごめんなさい」と心から思って、「もうしない」と謝りました。そのあとは、彼女が僕をきらいになっていないか確かめたくて、いつも性行為を求めていました。当時はほんとうに心から謝っているし、ほんとうにすまないと思っていると思い込んでいました。アウェアに通うようになってから、ほんとうはただ彼女を失いたくない、彼女にきらわれたくないと思っていただけだったことに気がつきました。きらわれたくない、失いたくないということを愛情と勘違いしがちです。ほんとうにパートナーを愛しているDV加害者なんていないと思います。僕も含め、加害者は自分のことが大好きで、自分が傷つかないためにはどうしたらよいか、彼女を失ってしまうと自分が傷ついてしまう、といつも自分を守ることばかり考えていると思います。

山口のり子著『愛を言い訳にする人たち DV加害男性700人の告白』2016年梨の木舎発行より抜粋